新宿区は印刷⽂化の拠点

新宿区は印刷⽂化の拠点

 「私たちの暮らしの⾝近にあるもの、そのほとんどのモノに印刷技術が利⽤されている。出版・印刷関連業は、明治時代から続く新宿区の重要な産業‥。⽂京区との境、神⽥川の南に位置する広範な地域に800余りの事業所がひしめいている。そのほとんどが中⼩規模経営。現在、区内製造業の約8割、製品出荷額の約9割を占めている。まさに様々な情報・⽂化の発信基地″新宿。ならではの地場産業。」

印刷⽂化の拠点〜出版・印刷関連業は新宿区の地場産業〜

印刷業集積のきっかけとは‥

◇明治19年、印刷業界の先駆的存在たった秀英舎(現・⼤⽇本印刷)が数寄屋橋から市⾕加賀町に第⼀⼯場を建設したのがその始まり‥。

◇当時は、官庁、出版社、各種⼤⼿企業等の発注者が多かった京橋地区が印刷業の集積地として知られていたが、のちに、こうした発注者が千代⽥区へと集中し、また次第に広がっていくのに呼応して、新宿区などにも拡⼤移転していった。その背景には、「新宿駅」⼭⼿線の開設(明治18年)、中央線の併設(明治22年) により、東京の市域が⻄に伸びたこと。この地が江⼾時代から商品⽣産が⾏なわれ開けていたこと。そし て、労働⼒の確保が容易だったことなどがある。

◇その後、明治31年に⼤⼿出版社・博⽂館(現・共同印刷)が、40年には⽇清印刷 (のちに秀英舎と合併して⼤⽇本印刷に)などが移転し、それに伴ない、下請となる中⼩⼯場が、次々とこの地に集積していっ た‥。

明治時代 ″⽜込区” と呼ばれた「当時の印刷技術(活版印刷)とは‥

◇活字を配置し、組版を作って印刷する活版印刷は、産業革命によって大量生産 (機械化)が可能となり、書籍、雑誌、新聞など印刷の主流をなした。◇印刷物の格調の高さ、読みやすさ、美しさなどの点では優れていたが、製版の作業効率、生産性などに課題もあった。

「当時の印刷技術(活版印刷)とは‥」

◇活字を配置し、組版を作って印刷する活版印刷は、産業⾰命によって⼤量⽣産 (機械化)が可能となり、書籍、雑誌、新聞など印刷の主流をなした。

◇印刷物の格調の⾼さ、読みやすさ、美しさなどの点では優れていたが、製版の作業効率、⽣産性などに課題もあった。

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一般社団法人新宿区印刷・製本関連団体協議会