明治文学の両雄といえば夏目漱石と森鴎外です。それぞれ定番の写真があります。漱石は鼻髭を蓄え、肩肘をつき手に顔をのせ、メランコリーを漂わせたもの。横顔の鴎外。一説によると鴎外は正面から見た自分の顔にコンプレックスがあったからだという事です。


漱石は早稲田の名主の子として生まれ、「坊ちゃん」にも出てくるように、地方の学校に奉職した後、英国に留学し、帰国後東京帝国大学の教授となり、やがてそこを退職し、朝日新聞専属の作家に転身しました。当時この事は非常に話題になりました。「帝大の先生がやくざな作家になる」という事は信じられない事でしたから。それくらい当時の作家の身分は低いものでした。作品の上質な事もありますが、漱石が転身した事で作家の社会的地位の向上に貢献しました。


そう、漱石は、いまで言えば、ベストセラー作家、いやそれ以上に、日本の文化全体に影響力を持った作家です。当時時代が知を渇望し、崇拝する雰囲気にあふれていました、それも手伝ったのは事実です。なにより「知」や「文化」や「知らないこと」に対して真摯に向かい合う向上心に満ちた時代だったのです。


でも、それを水面下で支えたものがあった事が意外に知られていません。漱石の頭脳をソフトウェアにたとえるなら、ハードウェアは印刷機。そのハードウェアの準備があったからこそ、漱石はベストセラー作家になりえたのです。


開国以来、印刷機の導入、それは何も印刷機を輸入すれば足りると言う事ではありませんでした。まず、日本独自な文字を作らなければいけません。その活字を作ってやってのけたのが本木昌造です。その活版印刷は何をもたらしたのか。書物の大量生産、それに伴うコストダウンです。この陰の努力と準備がなければ漱石さえも皆に読み継がれる事はなかったのです。
この新宿の地を愛した作家達がいます。尾崎紅葉、泉鏡花、小泉八雲などです。彼等の居住空間の隣に、多くの印刷所があるのも何かの因縁かもしれません。