印刷の世界は、ハード面(たとえば活字)に限って言えば、明治以後一世紀にわたって、資産を増やし続けてきました。それは膨大なものです。しかしコンピュータの出現がこの財産を無用の物にしてしまいました。時は仕事のあり方の改革を要請しました。そして今日があります。コンピュータの導入が、従来の工程を省略可能にし、ひとりで出来る仕事に変えてしまいました。その影響を受けて、出版、印刷、製本が三位一体といわれた以前のような独自な仕事の分業の域が薄れていきました。もちろん、いまもその分野の仕事を、専門職として、大事にしているところもあります。しかし今日では、これらすべてを一社で賄なってしまうのも珍しくありません。そういう現状を容認しながら、敢えて、各組合を紹介します。

アメリカでは印刷をグラフィックコミュニケーションといいます。「アメリカでは」を省略し「印刷とはグラフィックコミュニケーションである」とい直しても、ある分野の印刷物に関しては、正確にその的を射ていると思います。どんなものであれ本来印刷物はコミュニケーションなのです。印刷されたものが文字であっても絵であっても、そこを通してコミュニケーションが生まれるものです。たとえ新聞に挿まれた広告チラシであってもです。事実印刷は、映像のように圧倒的で暴力的な力はないにしても、受け取る人の生活スタイルに合わせて、ゆっくりと浸透してゆく力を備えています。

 

南北線 溜池山王駅ホームのタピスリー
最早グラフィックスの領域はA0かA1とかいう従来の限られた紙面サイズに閉じ込められているものではありません。ビルの巨大な壁面を飾る高品質なグラフィックも当たり前になってきました。それは確実な宣伝効果を発揮するだけでなく、見る人を驚かせ、そして捕らえて放さないものです。街中に設置されたこれらの印刷物は、当然雨風にさらされ、また太陽に焼かれ、気温の寒暖にも耐えて、ある程度の月日を経てそこにあり続けなければなりません。これら諸々の要件をクリアーするには想像する以上に困難なことです。しかし今日の印刷技術はこれらを見事に乗り越えました。それだけでなく、二次元の世界に三次元のものも定着させることが出来るようになりました。このような技術が表現したいことのすべてを可能にしているようですし、同時にそれは従来の仕事の枠組を変えています。ITがもたらしたメディア媒体の改革です。電子媒体が旧媒体の見直しを迫っています。
この恵まれた状況の下で、東京グラフィックコミュニケーションは、過去の資産も大切にしながら、今後の指針になりたく、つぎなるものを目指しています。メディアは文字や音で告知するだけでなく、絵や像をとおして表現することができ、感性に訴えかける力も保持しています。文化がわたしたちの感性を覚醒するように、メディアも同じ作用を私たちに及ぼします。文化の一翼を担う自負心を持ち、単に仕事を仕事として処理するのではなく、デザインやレイアウトがそれだけのものとして留まることなく、制作したものが呟きを発し、その呟きが見るものの、つまり本当のお客さまの心を捉えることを常に念頭において、今後益々提案・創造する仕事をしていきたいと願っています。