東京グラフィックサービス工業会
印刷の世界は、ハード面(たとえば活字)に限って言えば、明治以後一世紀にわたって、資産を増やし続けてきました。それは膨大なものです。しかしコンピュータの出現がこの財産を無用の物にしてしまいました。時は仕事のあり方の改革を要請しました。そして今日があります。コンピュータの導入が、従来の工程を省略可能にし、ひとりで出来る仕事に変えてしまいました。その影響を受けて、出版、印刷、製本が三位一体といわれた以前のような独自な仕事の分業の域が薄れていきました。もちろん、いまもその分野の仕事を、専門職として、大事にしているところもあります。しかし今日では、これらすべてを一社で賄なってしまうのも珍しくありません。そういう現状を容認しながら、敢えて、各組合を紹介します。

東京グラフィックサービス工業会(東グラ)の誕生を探ると謄写印刷業に行き着き、明治末期、1900年くらいまで遡ることが出来ます。
謄写版

謄写印刷業とは、いまはもう見ることも出来なくなってしまいましたが、謄写版=ガリ版刷り、石版の上に油紙を置き、そこに鉄筆という筆記具を用いて、人力で油紙の上に文字を書き、その油紙を上蓋にセットし、インクのついたローラーを転がして、印刷物を刷る、それを行う人たちの仕事のことでした。当時この仕事のできる人は技術者として扱われていました。この仕事の業態は印刷所を構えるというような形をとらず、会社や官公庁等へ、謄写印刷技術者としての人材派遣業務が主を占めていました。俳優の佐藤慶さんが、売れない時代、いまのSOHOのように、謄写版筆記者・技術者として生活費を稼いでいたのは有名な話です。
やがて和文のタイプライターが出現し、それを用いてタイプ印刷が可能になり、活版印刷とは異なる革命的な「軽印刷」が誕生することになりました。このタイプライターの出現が印刷革命の原点になったといっても過言ではありません。この時点では、文字はまだタイプという「ハードウェアー」(物質)でしたが、形態としては、完全に今日のIT電子出版の態を成しています。


和文タイプライター
この「ハードウェアー」を「ソフトウェアー」(情報)に変えたのがワードプロセッサの登場です。これまで物として外にあった文字を、情報としてワープロの内部に取り込んだことです。このことは何をもたらしたかと考えると、これまでさまざまな手を経なければいけなかった作業を省くことができるようになったということです。ご存知のように、パソコンの登場で、ワープロの機能は、すべてパソコンに吸収されてしまいます。更には、印刷のためのアプリケーションが開発され、普及するなかで、現在見るように、これまでの印刷工程すべてがパソコン一台で処理できるようになってしまいました。
軽印刷。「軽」という接頭語が表すように、東京グラフィックス工業会は、活版印刷とは異なる本流でない位置づけを自覚しているようなところがありますが、この「軽」が果たした役割を印刷の歴史の上に置いてみると、今日のデジタル化へ導いた功績は計り知れないものがあります。「軽」だからこそ出来た変化への対応・仕事を見事に果たしていると思われます。
謄写印刷、軽印刷を経た東京グラフィックス工業会(1996年設立)は、本来の軽快なフットワークを生かして、インターネットへの対応、デジタルスペシャリスト育成講座の開設、ISO(国際標準品質)導入への取り組み、それらさまざまな取り組みを通して、時代が要求する変貌へ挑戦し続けています。